BASE-firstと演出——アイデンティティ維持としての体験の素材化
0. Overview
ーシャル・メディアへの投稿には、眼前の体験が「見せるための素材」に変質する現象が観察される。従来これは「自己呈示」「印象管理」として誇示の文脈で語られてきた。だが卑下の投稿も同じ変質を起こす。誇示と卑下を別物として扱う説明では、この同型性を取りこぼす。本稿は、演出をアイデンティティ維持のための体験の素材化として定義し、方向性を問わない一本の判定基準を提案する。
1. Definitions
BASE:代替のきかない身体がそこにある物理空間。すべての座標の原点(ダイクティックセンター)である。
BASE-first:BASEを原点に据える設計思想。mobile-first / offline-first の系譜に連なる。動作面では「BASEに開く」と言い換える。
メディア化:BASEからソーシャル・メディアへの体験・情報のインプット。供給する向きを指す。インプット自体は中立である。
演出:アイデンティティ維持のために体験を見せ物にする操作。BASEの体験を自己像安定化の素材に差し替える。誇示と卑下の双方を含む。方向は問わない。
ゲーム:自己像を維持する競争。「最高の自分を呈示する」誇示と、「最悪の自分を呈示する」卑下は、その下位戦略である。
BASE-firstの二機能:①発信者として演出のゲームに参加しない構え。②受信者として眼前の情報が演出かBASE-firstかを判定するリテラシー。同一基準が送受両側に立つ。
2. Propositions
P1:演出の本質はアイデンティティ維持にある。「最高の自分」の誇示も「最悪の自分」の卑下も、自己像を安定化させる点で同一の操作である。誇示は理想自己の補強、卑下はシェイムの先回り処理にすぎない。
P2:演出の方向性(誇示/卑下)は、演出か否かの判定にとって無関係である。問うべきは「最高の自分か」ではなく「自己像維持のために体験を見せ物にしているか」である。
P3:判定基準は自己言及的である。演出投稿とBASE-first投稿は外形上区別がつかないことがある。判定が可能になるのは、自分がBASE-firstの構えを内に持ち、自分の動機を点検できるときに限る。基準はまず自分に向く。
3. Corollaries
C1(P1, P2より):「これは最高の自分を呈示していないか」という単一方向の点検は、卑下型の演出を取りこぼす。点検は「自己像維持のために体験を素材化していないか」に一本化される。
C2(P1より):卑下は傷を自ら開示することで他者の評価権を奪い、痛みをコントロール下に置くシェイム回復行為である。誇示と卑下は逆ベクトルに見えて、自己像の安定化という同一の着地点を持つ。
C3(P3より):他者の投稿を判定する以前に、自分の動機の点検が先行する。BASE-firstのリテラシーは観察技術ではなく、自己点検の能力である。
4. Open Questions
演出=アイデンティティ維持を、理論としてどう定式化するか。person storage / platform storage / willingness criterion / trust leverage の英語理論装置との接続が残る。
xylitol relationship との接続をどう扱うか。「見せる自分=身体を伏せた泳ぎ」は、誇示でも卑下でも泳ぎは泳ぎである。卑下は「沈んで見せる泳ぎ」だ。最悪の自分を晒す泳ぎも、身体(BASE)を伏せたまま水面の像だけを操作している。島に上がっていない点で誇示と変わらない。この同型を理論装置にどう織り込むか。
判定基準の自己言及性は、操作的基準を立てる試みと衝突しないか。動機の点検という内面の作業を、外形的な操作基準にどこまで翻訳できるか。
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